二宮町議会 2023-03-15 令和5年第1回(3月)定例会(第15日目) 本文
ごみ処理基本計画のごみ処理の現状というのがあって、この町の昭和63年からの主な取組についてがずらーっと書いてあって、私もずっとごみ関係、最初のほうは特に桜美園のことでありましたから、懐かしく、こういう政策もやったな、あれもやったし、工作もしたな、一絞り運動をやったな、ネットを配ったなって、いろんなことをやってきたんですけど。
ごみ処理基本計画のごみ処理の現状というのがあって、この町の昭和63年からの主な取組についてがずらーっと書いてあって、私もずっとごみ関係、最初のほうは特に桜美園のことでありましたから、懐かしく、こういう政策もやったな、あれもやったし、工作もしたな、一絞り運動をやったな、ネットを配ったなって、いろんなことをやってきたんですけど。
もう一つの質問は、昭和56年の新耐震基準ができておりまして、これが1つの、この役場庁舎もそうですけれども、耐震ということをここで基準づけていますが、二宮町内の住宅において、普及率というんですかね、新耐震基準に達している家屋って言えばいいんですかね、どのくらい進んでいるもんなんでしょうかというのは把握できていますか。担当が違いましたか。
そのほか、昭和47年に竣工した消防庁舎の改修に必要な実施設計を引き続き行うほか、地域づくりの拠点となる地域集会施設についても、地域の皆様と話し合いを行いながら、現在進めている百合が丘老人憩の家の改築工事と富士見が丘老人憩の家の代替施設である(仮称)富士見が丘公会堂の建設に加え、入川匂老人憩の家及び下町老人憩の家の改修工事を実施するほか、梅沢老人憩の家及び中里老人憩の家の耐震等改修設計を進めてまいります
◆2番(味村耕太郎 議員) 学校給食法の規定のお話がありましたが、昭和29年(1954年)の文部事務次官通達では、これらの規定は経費の負担区分を明らかにしたもので、例えば保護者の経済的負担の現状から見て、地方公共団体、学校法人、その他の者が児童の給食費の一部を補助するような場合を禁止する意図ではないと述べています。
しかしながら、入札契約制度の中でも、昭和58年に告示された「指名競争入札に参加する者に必要な資格」の別表にある「契約の種類ごとの金額に応ずる等級区分及び格付基準点数」、いわゆるランク表になりますが、こちらについては、工事執行の際に入札参加資格要件として設定されている土木一式、水道施設等のランクの内容が規定されているものであるが、昨今の物価の上昇や消費税の段階的引上げ等の社会経済情勢のほか、市内業者の
私ども日本共産党会派では、本市議会において1979年(昭和54年)当時より、乳幼児医療費無料化ということで取り組み、それ以降は、小児医療費助成制度の創設から、対象拡大、所得制限の撤廃について、今日まで幾度となく質問等を行い、求めてきた経緯があります。
本市の市営住宅は、昭和26年の公営住宅法の制定を契機に、戦後の住宅難の解消を図るため、昭和の時代、今から約50年前より建設され、市民のニーズに応える中、住居環境を供給してきました。この間、住居のセーフィティネットとしての役割も長年にわたり果たしてきたものと認識しています。
昭和20年(1945年)5月24日、米軍の手に落ちた日本軍の2つの飛行場、中飛行場と言われる嘉手納飛行場と、北飛行場と言われる読谷飛行場へ向けて、熊本県の健軍飛行場から97式重型爆撃機12機に約150名が分乗し、出撃しました。故障機等の離脱があった後、合計8機が沖縄県上空から突入、全員が散華されたことが日米両者の資料により確認されております。
また、通勤・通学・ショッピング等、私たちの身近な行動範囲も一段と拡大しており、行政がいつまでも昭和30年代の枠組みでよいわけがありません。したがって、合併により圏域の新たな都市づくりを目指し、効率的な運営を図るべきと考えます。 何度でも言わせていただきますが、近隣の藤沢市は人口約44万人で首長1人、職員数は約3800人、議員数は36人。
弁財天通り周辺地は、昭和13年に国指定史跡に指定されております。国指定史跡は、後世に守り伝えるため、文化財保護法により厳しい現状変更規制が加えられ、地権者の財産権が制限されております。これを補償するため、地権者の同意が得られた場所から徐々に、本市が国・県の補助金を得て、小田原城跡の将来的な復元を目的に土地の買取りを行ってまいりました。
かえで広場につきましては、昭和58年1月の文化会館オープン以来40年が経過しており、全体的にタイルの目地割れによる剥がれや浮きなどが生じ、劣化による損傷が進行しておりますことから改修工事を行うものでございます。
同学校の校名は、幾度かの変遷を経て、昭和22年に現在の藤沢市立藤沢小学校となりましたが、校名板が設置された明確な時期及びこれらの文字が表示された理由につきましては、現存する行政文書に記述はなく、不明でございます。
◎増田 障がい者支援課課長補佐 障がい者福祉手当の支給が開始された時点、昭和43年になりますが、当時は現在ほど障がい福祉サービスの種類が整っておらず、また、その担い手も限られていたことから、対象者に対し直接現金を支給し支援する個別給付により福祉の向上を図っていた経過がございます。
162: ◯教育部長【椎野文彦君】 給食費のことなんですけれども、給食の施設とか運営管理については、町の責務ということで、今までも過去、昭和の40年代から二宮町は小学校、中学校の完全給食というのを継続していち早く実施してきた経過がございます。
【陳情理由】 市道「藤沢・石川線道路拡幅工事」は、1957年(昭和32年)計画決定されたものですが、善行南工区は事業着手がなく計画決定から65年が経ちました。 善行南工区は、スーパーFからラーメン店まで距離280mであります。 このうちラーメン店から善行大橋・五差路(以下、五差路)までの区間について、交通事故の危険性を多くの人が指摘しています。
現在、当該施設の一部用地は、横浜湘南道路の工事ヤードとして目的外使用をしているところでございますが、昭和60年に供用開始以降、施設の老朽化が進んでいる状況もあり、将来的には既存の機能を維持した上での改築や、現在、課題となっている雨天時侵入水への対応、さらには、当該施設周辺の浸水対策などへの利用が必要となっております。
加えまして、施設の予防保全としましては、昨年度は、町営三増住宅の外壁・屋根改修工事をはじめ、半原小学校の平成3年度棟や愛川中学校の昭和59年度棟、第1号公園体育館の屋上防水工事を実施したほかに、本年度は、菅原小と愛川中原中の体育館照明のLED改修工事や、田代小学校及び愛川中学校のトイレ洋式化改修工事を実施したものでございます。
というのは、昭和60年度に平塚市が委託された平塚市都市整備調査事業というものも、西部丘陵地帯について過去6回の開発調査というのが行われているんです。なかなか構想が進まずに、その反省から、平塚ばらの丘ハイテクパーク構想をまとめたというような経過があるんですね。
当然、個別発注なので、その費用が、ある程度かさんでいるのでこのぐらいの金額がどうしてもかかってしまうというところと、あともう一つが、山西プールのドアも、これも過去、ちょっとざっと調べたんですけれども、本格的に直したことがなくて、開設した年度が昭和の57年です。